食の観光をデータで評価する──ガストロノミーツーリズムの指標化

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はじめに

観光における「食」は、宿泊や交通と並んで最も大きな消費要素の一つです。旅行者が地域に滞在する際、食事や飲食体験は必ずと言っていいほど関与し、地域経済への直接的な効果をもたらします。こうした背景から、「食」を核にした観光、すなわち ガストロノミーツーリズム(食の観光) が、世界的にも地域振興や観光政策の重要な柱として注目されています。
国連世界観光機関(UNWTO)も「観光の行先として地域を差別化し魅力的なものにするため、食事は不可欠な要素であり」、「農村開発、経済成長、雇用創出、あるいは責任ある消費と生産などの分野で、貢献が期待されてい」る、としています。

しかし現状では、ガストロノミーツーリズムの取り組みがどの程度効果を上げているのかを、データに基づいて定量的に評価する枠組みは十分に整備されていません。飲食消費額の把握は行われていても、食を目的とした観光行動や満足度、地域文化との結びつきといった要素は、データとして可視化されにくいのが実情です。

本記事では、観光政策や地域経営の観点から「食の観光」をどうデータで捉え、評価指標として設計していくべきかを整理します。ガストロノミーツーリズムを単なるグルメ体験にとどめず、持続可能な観光振興の戦略資源として位置づけるための視点を提示することを目的とします。

第1章:ガストロノミーツーリズムとは

1. 定義と特徴

ガストロノミーツーリズム(Gastronomy Tourism)とは、単に「ご当地グルメを楽しむ旅行」を指すのではなく、地域固有の食文化・食材・生産背景を体験することを目的とした観光形態を指します。料理そのものに加え、農業や漁業などの一次産業、伝統的な調理法、食をめぐるストーリーや文化資産が観光資源として組み込まれる点が特徴です。

国連世界観光機関(UNWTO)は、ガストロノミーツーリズムを以下のように定義しています。

観光客の体験・活動が、食や食材に関連付いていることを特徴とする。本格的、伝統的又は革新的な料理体験と併せて、ガストロノミーツーリズムには地域の産地訪問、食に関するフェスティバルへの参加、料理教室への参加など、他の関連活動を含む場合もある。ガストロノミーツーリズムの一種であるワインツーリズムは、ブドウ園やワイナリーの訪問、テイスティング、ワイン産地近隣でのワインの消費又は購入を観光の目的とする。

UNWTO

2. 世界的な潮流

欧州を中心に、ガストロノミーツーリズムは地域振興の戦略の一環として積極的に推進されています。例えば、スペインのバスク地方は「美食の都」として世界的に知られ、食文化そのものが観光ブランドとなっています。各国の観光庁や自治体も、食イベントや農業体験を観光政策の柱に据えるケースが増えています。

3. 国内での動向

日本でも、観光庁が「その土地の気候風土が生んだ食材・習慣・伝統・歴史などによって育まれた食を楽しみ、食文化に触れることを目的としたツーリズム」を推進し、北海道のウィスキーとフードペアリング、群馬・前橋の発酵文化、立山の自然と文化の融合を感じるガストロノミーツアーなど、地域ごとに独自の事例が生まれています。(参考

4. 課題認識

多くの取り組みは「ストーリー性」や「イベントの魅力」を強調したり、新たな観光資源の発掘にも力を入れていますが、実際にどの程度の経済効果や社会的効果を生んでいるのかを定量的に把握する仕組みに関してはまだ確立しきれていない部分があります。観光政策や投資判断に活用するためには、ガストロノミーツーリズムを「感覚的な成功事例」から「データで裏付けられた施策」へと進化させる必要があります。

第2章:観光における「食」の経済的インパクト

1. 観光消費に占める食関連支出の大きさ

観光庁「インバウンド消費者動向調査」(2025年1月~3月、2次速報値)によれば、旅行者の支出において「飲食費」は宿泊費、買物代に次いで大きな割合を占めています。回答者数にばらつきがあるものの、消費単価を比較すると総支出の内、食費は21%という結果になりました(全国籍・地域)

食は観光消費の主要な柱であり、地域経済におけるインパクトも大きいのです。

2. 波及効果の広がり

食関連消費の経済効果は、飲食店だけにとどまりません。地元の農業、漁業、畜産業、食品加工業、物流など、地域の一次・二次産業まで広く波及します。観光客が地元の食材を使った料理を楽しむことは、生産者への直接的な需要拡大につながり、地域内経済循環を強める役割を果たします。

3. 地域ブランド形成への寄与

食は、観光地の「記憶」や「イメージ」に直結する要素でもあります。ご当地グルメや郷土料理、地域独自の食文化は、旅行者にとって訪問先を選ぶ動機の一つとなり、リピーター獲得にも寄与します。データ分析の観点から見れば、食関連の体験や口コミが観光地の満足度や推奨意向、回遊度にどのように影響するかを測定することは地域戦略において極めて重要です。

4. 投資・政策判断への意味

観光における「食」の経済的インパクトを定量的に把握することは、行政や事業者にとって大きな意味を持ちます。

  • 自治体:観光政策の重点分野を明確化できる
  • 事業者:投資判断やマーケティング戦略を合理化できる
  • 投資家:ESG投資や地域開発投資の観点から「食」を含む観光資源を評価できる

このように、食関連消費を「見える化」することは観光の持続可能な発展に欠かせないプロセスといえるでしょう。

第3章:データで「食の観光」を測る視点

ガストロノミーツーリズムの効果を適切に評価するためには、単に「食べた人数」や「飲食費の合計額」を集計するだけでは不十分です。食を軸にした観光の広がりを捉えるには、多角的なデータ収集と指標化 が不可欠です。

1. 消費データ

最も基本的なのは、旅行者が食にどの程度支出しているかを把握することです。クレジットカードの決済データ、キャッシュレス決済の履歴などを活用すれば、どこから観光客が来ていて、どのくらい支出したのか、食関連支出の規模と時系列の変化を定量化できます。

2. 満足度データ

旅行者が「食」をどう評価しているかを示すデータも重要です。

  • レビューサイトやSNSの投稿内容
  • ポジティブ/ネガティブ比率
  • 特定の料理や店への言及頻度
    自然言語処理や感情分析を用いることで、数値化しにくい「美味しい」「感動した」といった体験価値を指標化できます。アンケート調査も効果的です。

3. 回遊データ

食体験が旅行者の行動に与える影響も見逃せません。

  • 食を目的にした移動距離
  • 食イベントと混雑度・宿泊日数の関係
  • 飲食体験後の周辺施設訪問率
    位置情報データやモバイル人流データを活用すれば、食が観光の回遊性や滞在時間をどのように高めているかを分析できます。

4. 文化的価値データ

ガストロノミーツーリズムは単なる「食事」ではなく、文化体験の側面を含みます。

  • 郷土料理や伝統食、地域の文化の認知度
  • 地場産品の購入率
  • 季節性イベントや食文化祭の参加率
    これらを数値化することで、地域文化の継承やブランド価値への貢献度を可視化できます。

このように、「消費」「満足度」「回遊」「文化的価値」という複数のレイヤーからデータを集めることで、食観光のインパクトをより正確に評価できるようになります。

第4章:指標化の試み

ガストロノミーツーリズムを戦略的に推進していくためには、データを集めるだけでなく、それを整理し 「評価指標」として活用できる形にすること が求められます。以下では、実務に応用しやすい指標の例を示します。

1. 経済的指標

  • 旅行者一人あたりの食関連支出額
  • 地域全体の食関連売上高の増加率
  • 飲食支出が宿泊・交通・体験に与える波及効果
    これらは観光庁の統計や決済データをもとに算出でき、自治体や事業者の収益面での評価に直結します。

2. 顧客満足度指標

  • 食関連口コミのポジティブ比率
  • SNSでの地域食体験に関する投稿件数・拡散度
  • 旅行後アンケートにおける食体験満足度スコア
    定量化の難しい「美味しさ」「感動」も、自然言語処理を用いたレビュー分析や感情分析を通じて測定可能になってきています。

3. 行動・回遊指標

  • 食イベントや飲食を目的にした再訪率
  • 食体験と宿泊日数の相関
  • 飲食施設から周辺観光スポットへの回遊率
    移動データや食体験イベント参加者のデータを掛け合わせることで「食が旅行全体の行動にどう影響したか」をより詳細に把握することができます。

4. 文化・ブランド価値指標

  • 郷土料理や伝統食に対する認知度の変化
  • 地域産品の購入率やECサイトでの販売額
  • 文化イベントや食フェスティバルへの参加率
    食を通じた地域ブランド形成の進展度を測るための基盤となります。

5. 指標化のメリット

こうした指標を体系的に設計することで、

  • 自治体は施策の効果をEBPM(エビデンスに基づく政策立案)に反映できる
  • 事業者は投資判断やマーケティング施策の改善に役立てられる
  • 投資家や金融機関は、地域の観光資源としての「食」の価値を客観的に評価できる

結果として、ガストロノミーツーリズムを 「感覚的な取り組み」から「データに基づく戦略資源」へと格上げ することが可能になります。

第5章:課題と展望

1. データ収集の難しさ

ガストロノミーツーリズムを定量的に評価しようとしても、データ収集には大きなハードルがあります。特に地方の小規模飲食店では現金決済が依然として多く、決済データに基づく消費額の把握が限定的になりがちです。また、イベントや体験型プログラムの参加状況も、統一的に集計されにくいという課題があります。

2. 定量化しにくい「体験価値」

食観光の魅力は「美味しい」「楽しい」「人とのつながり」といった定性的な要素に支えられています。これらをデータに落とし込むには、口コミやSNSの自然言語処理、感情分析などの技術を活用する必要がありますが、完全に数値で表現することの限界も存在します。

3. データ活用における人材・体制不足

指標化にはデータサイエンスや観光経営の知見が求められますが、現場の観光事業者や自治体では人材不足が深刻です。外部の専門機関や研究者と連携し、持続的にデータを収集・分析できる仕組みを構築することが重要です。

4. 今後の展望

こうした課題を踏まえつつ、今後は以下の方向性が期待されます。

  • キャッシュレス決済の普及:食関連支出をより網羅的に把握可能に
  • AI・自然言語処理の活用:口コミ・レビューから体験価値を抽出
  • 複合指標の設計:経済効果・満足度・文化価値を統合した多面的な評価モデル
  • 地域横断的なデータ共有:自治体や事業者間でデータを共有し、ベンチマークを確立

ガストロノミーツーリズムを真に戦略的な観光施策として定着させるには、これらのデータ活用の工夫と制度設計が不可欠です。

まとめ

食は観光における主要な消費要素であるだけでなく、地域文化や歴史、生産者の営みを体験へと結びつける重要な資源です。ガストロノミーツーリズムの推進は、観光消費の拡大にとどまらず、地域ブランド形成や一次産業の振興といった広範な効果をもたらす可能性を秘めています。

一方で、その効果を活かすためには、感覚的な成功事例だけでなく、データに基づく定量的な評価が不可欠です。消費額、満足度、回遊行動、文化的価値といった多面的なデータを指標化することで、初めてガストロノミーツーリズムを「戦略資源」として位置づけられるようになります。

DeepGreenは「データとAIで地域の未来をデザインする」という想いのもと、こうした複合的なデータの収集・分析・指標化を支援し、食を核とした観光施策が持続可能に発展していくために、共に歩んでまいります。

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