はじめに
「推し活旅」という言葉が定着しつつあります。
好きな作品、人物、アイドル、キャラクターなど、いわゆる“推し”をきっかけに旅をする人々が増えています。彼らの行動は、単なる観光や消費活動を超えて、共感と情熱を軸にした新しい地域との関係の形を生み出しています。
一度きりの聖地巡礼が、ファンにとっては“儀式”のような体験になり、その後もイベントやSNS、オンライン販売などを通じて関係が続いていく。そこには、旅行者が「顧客」から「関係者」へと変わっていく構造があります。
こうした行動を正しく理解し、地域の観光戦略やファン施策に生かすための視点が、LTV(Life Time Value:顧客生涯価値)です。LTVとは、ある人が時間をかけてどれだけ価値を生み出すかを示す指標であり、ファン行動を通じて「地域との関係をどのように育てていけるか」を考えるうえでも有効です。
本記事では、推し活旅を「一度きりの訪問」ではなく「持続的な関係形成」として捉え直し、LTVを高めるための仕組みや、その関係性をデータで可視化する方法を考えていきます。
第1章:推し活旅が生む“継続的な関係”
推し活旅の最大の特徴は、一度きりで終わらないことです。
ファンは「推し」を中心に、作品・人物・舞台・地域といった対象に継続的に関わり続けます。その行動は、観光客というよりも“信頼関係を育てるパートナー”に近いものです。
たとえば、アニメやドラマの聖地を訪れたファンが、次のシーズンの放送時や周年イベントに合わせて再訪する。ライブやイベントで訪れた地域の特産品をECで購入する。あるいは、SNSで自ら情報を発信し、他のファンを誘う——。こうした一連の行動は、時間をかけて地域との接点を増やし、やがて「ファンコミュニティ」としてのネットワークを形成していきます。
つまり、推し活旅は「観光」という行為のなかに、“再訪・発信・共創”という循環を自然に内包しているのです。
この循環が長く続くほど、ファンの地域への貢献価値は高まり、結果的に地域経済・文化の持続性にも寄与します。従来の「来訪者数」や「消費額」といった短期指標では測りきれなかった価値を、“関係の深まり”という長期的な視点で捉えることが求められています。
このように、ファン行動を「単なるリピーター」ではなく、「関係を育てる主体」として見ることが、LTVを高める第一歩になります。
第2章:LTVを高めるための仕組みづくり
ファン行動のLTV(Life Time Value)を高めるには、単にリピート訪問を促すだけでは不十分です。
岩崎ほか(2018)の研究によれば、アニメ『夏目友人帳』の舞台となった熊本県人吉市を訪れるファンの行動には、「作品への愛着」から「地域への愛着」へと感情が波及していくプロセスが見られます。
つまり、推し活旅を支える仕組みとは、地域との関係が徐々に深まるような体験設計に他なりません。
ここでは、そのプロセスを支える4つの要素を整理します。
2-1 態度変容と地域への愛着の波及
多くのファンは最初、作品や人物への愛着を原動力に旅に出ますが、聖地巡礼行動をきっかけとした地域への関心、愛着が示唆されています。
アニメ関連スポット以外のイベントや観光地への訪問率が高いことが岩崎ほか(2018)の研究から示唆されていることからも単なる「聖地巡礼」だけではなく、地域そのものの魅力にも触れられるような仕組みが重要であると言えるでしょう。
たとえば、
- 聖地スポットの周辺に、その土地の文化や生活を紹介する解説や展示を設ける
- 地域のイベントとアニメのコラボポスターやグッズを展開する
こうした工夫によって、作品から地域へと関心が広がる導線を広げることが可能です。
2-2 複数訪問を促す経験設計
岩崎らの調査によると、人吉市を訪れた聖地巡礼者のうち8割以上が複数回訪問しており、その中には8回以上訪れているファンも約2割にのぼります。
この高い再訪率は、ファンが「一度では味わい尽くせない体験」を感じ取っていることを示しています。
この“継続的関係”は巡礼地の以下のような要素が功を奏したと考えられます。
- 企画の更新(毎年のポスターを楽しみにしている、などの意見あり)
- 住民との交流
ファンが「次も来たい」と思うきっかけを、時間軸の中で更新し続けることがLTVの向上につながります。
2-3 多目的訪問と観光回遊誘導
同研究では、聖地巡礼を目的に訪れた人の多くが、地域の温泉・イベント・飲食店などにも立ち寄っていることが報告されています。旅先での飲食や宿泊など、コンテンツ関連の目的地以外にも経済効果が波及するのは旅・観光の重要な特徴です。
この特性を活かすには、ファンの行動を地域全体に波及させる仕組みが有効です。
たとえば、
- 聖地スポットを起点に「おすすめルート」や「おすすめスポット」をマップ上に提示
- 地元の名物メニューに推し活を絡めるなど、限定メニューの展開
- 「推し×地域体験」型ツアー(例:舞台地の散策+伝統工芸体験)を造成
こうした導線設計は、ファンの訪問目的を「推し」から「地域全体」へと広げ、地域内滞在時間と経済波及をともに高める効果をもたらします。
2-4 データ接点と継続的関係設計
岩崎らはまた、ファンが現地で記入した「探訪帳ノート」をテキストマイニング分析し、作品に関する感情語(“大好き”、“最高”など)と作品名との関連が予想通り共起していることと共に、地域の名称である「人吉」と“風景”、“素敵”などが共起していることを明らかにしました。
これは、ファンが作品を通じて地域を語り始めていることを意味します。
このような“感情データ”は、定量的なLTV分析の貴重な手がかりになります。
- 探訪ノート・アンケート・SNS投稿を統合し、関係の深まりを可視化
- 投稿内容のキーワード分析で、地域愛着の変化を追跡
- 参加者データと連携し、再訪者の特徴や感情傾向をモニタリング
これにより、ファンと地域の関係がどの段階にあるかを“感情の温度”として把握でき、施策の改善にも活かせます。
このように、LTVを高めるとは「再訪を増やす」ことではなく、ファンの感情が地域へ広がり、関係が深まっていくプロセスを支えることです。
感情データを含めた多面的な設計が、推し活旅を“単なるブーム”から“持続的な地域関係”へと育てる鍵になります。
第3章:データで見るファンLTVの可視化
ファン行動のLTV(Life Time Value)を「関係性の深まり」として理解したうえで、
次に課題となるのが、その関係をどのように“見える化”するかです。
推し活旅におけるファン行動は、単一の消費データでは捉えきれません。
現地訪問・EC購買・SNS発信など、オンラインとオフラインを往復しながら関係を育てるため、
複数のデータをつなぎ合わせる「関係データ分析」の視点が求められます。
3-1 可視化の目的:関係の温度を数値で把握する
LTVの可視化とは、単に「どれだけお金を使ったか」を計算することではなく、
ファンがどれだけ継続的に関わっているかを把握することです。
そのためには、次のような多層的なデータ構造が必要になります:
| 分類 | 内容 | 意義 |
|---|---|---|
| 訪問データ | 来訪回数・訪問間隔・滞在時間 | 物理的な関係継続度 |
| 購買データ | チケット・グッズ・特産品購入履歴 | 消費行動の蓄積 |
| 発信データ | SNS投稿・ハッシュタグ・写真共有 | 感情表出と影響力 |
| 参加データ | イベント・クラファン・地域貢献活動 | 関与の深さ・共創度 |
これらを組み合わせて、ファンの行動を「熱量」として表現することができます。
たとえば、「来訪1回・発信なし」は接点レベルであり、
「複数回訪問+投稿+EC購買」が関係深化レベル、
「地域活動参加・情報発信の中心人物」になれば共創レベル、といった具合です。
3-2 分析の出発点:シンプルなLTVスコアモデル
LTVの初期段階では、複雑な分析モデルを使う必要はありません。
まずは、シンプルに「訪問回数 × 購買金額 × 発信回数」といった基礎的指標から始め、
徐々に精緻化していくのが現実的です。
以下は、Python(pandas)でファンのLTVスコアを試算する簡単な例です。
import pandas as pd
# ダミーデータ例
data = {
"user": ["A", "B", "C", "D", "E"],
"visits": [3, 1, 5, 2, 4], # 来訪回数
"purchases": [12000, 4000, 25000, 8000, 18000], # 購買金額(円)
"posts": [5, 1, 8, 3, 6] # SNS投稿回数
}
df = pd.DataFrame(data)
# LTVスコアの試算
df["ltv_score"] = df["visits"] * 0.4 + df["purchases"]/10000 * 0.4 + df["posts"] * 0.2
print(df[["user", "ltv_score"]])
このような簡易モデルでも、
- 「どのファン層が長期的に関係を築いているか」
- 「発信が多いのに再訪が少ない層」
- 「購買中心だがコミュニティ未参加の層」
などを見分ける出発点になります。
例のコードではユーザー単位で見ていますが、このスコアを地域や時系列で追えば、
どの取り組みがLTV向上に寄与しているかを検証することも可能です。
3-3 感情データを組み込む:ファンの「熱量」を定量化する
定量データに加え、SNS投稿やアンケートから抽出できる感情データ(テキストデータ)も有効です。
たとえば、「尊い」「感動」「行ってよかった」といったポジティブ語彙の頻度をスコア化すれば、
ファンの“感情的エンゲージメント”を推定できます。
Pythonでは以下のような簡易スコア化も可能です。
from collections import Counter
posts = [
"尊い!景色も作品も最高!",
"やっぱり来てよかった…癒された",
"次も行きたい!また友人連れてくる"
]
keywords = ["尊い", "最高", "癒", "行きたい"]
score = sum(sum(k in p for k in keywords) for p in posts)
print("感情スコア:", score)
この例だけでは目視で数えることも可能ですが、
回答者が多いアンケートデータなどを集計する場合には機械的に行うのが現実的です。
また、集計者が複数いると評価がブレてしまう可能性も機械的な定量化で防ぐことができます。
このように、ファンの「心の温度」を補完的に定量化することで、
LTVの理解が「行動」だけでなく「感情」を含むものへと進化します。
3-4 地域施策への応用
LTVスコアを地域の観光施策に応用すれば、
- 「再訪率が高いが購入が少ない地域」には来訪者向けクーポン施策を、
- 「発信は多いが来訪が少ない地域」には来訪特典を、
などといったデータドリブンな戦略設計が可能です。
さらに、これらのデータを蓄積すれば、
ファン行動がどのように地域愛着へ移行しているかを時系列で追うこともでき、
ファン育成や関係人口施策の改善サイクルを回せます。
LTVの可視化は、ファンの熱量を単に“数字で捉える”というより、
関係を継続的に理解し、より良い体験を提供するための羅針盤です。
こうした分析を通じて、推し活旅は「消費」から「共創」へと進化していきます。
まとめ
推し活旅は、単なる観光や消費活動ではなく、「共感によってつながる新しい関係の形」です。
ファンが“推し”をきっかけに地域を訪れ、再訪し、語り合い、地域の文化や人々に関心を広げていく。
その一連の行動の中に、観光の持続可能性を支える大きな可能性があります。
LTV(Life Time Value)の考え方を取り入れることで、
こうしたファン行動を「一度の消費」ではなく「時間をかけて育つ関係」として捉え直すことができます。
訪問・発信・購買・共創という複数の行動を通じて、ファンと地域がどのように関係を深めていくのかを、
データとして把握・分析し、より良い体験設計へとつなげていくことが今後の鍵になります。
ファンの熱量を数字に変えることは、感情を単純化することではなく、
その関係性を継続的に支える仕組みをつくるための手段です。
データは、ファンと地域が互いを理解し、共に未来を描くための共通言語になり得ます。
DeepGreenは、「データとAIで地域の未来をデザインする」という理念のもと、
ファン行動のLTV可視化を通じて、“推し”と“まち”が長く愛され続ける仕組みの実装を支援していきます。
ファンがまた戻りたくなる、地域がまた迎えたくなる——。
その循環を科学的に、そして温かく育てていくことが、これからの観光に求められる姿です。



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